「休めない」日本人に思う
先日、Yahoo!ニュースでこんな記事を見かけた。
その前に書かれたこちらの記事の反響が大きく、追加で書いた記事との事だった。
記事の内容は一部重複しているが、文中の、
”日本では政府や会社が従業員に休暇を推奨するようになってきたものの、いくら「有給休暇を取りなさい」と叫んでも、現場はそうはいかない場合がほとんど。むしろ、組織による仕事量のマネジメントもなく、有休取得目標値達成のためだけに有給休暇を「強制」される職場も多いようである。結果的にほかの日が残業になる、自宅に仕事を持ち込まざるをえないなど、本来の有給休暇の目的から外れた、本末転倒ともいえるひずみが生じている。”
に共感する人も多いのではないかと思う。
その中でも、私は自社の状況や、周囲の友人・知人の話も含めて、日本では管理職に就いている層を始め、多くの人が「仕事量のマネジメント」ができていないのではないか、と強く感じる。
私は入社5年目の昨年から周囲から「よくそんな長期間休めるね」と言われるような休みの取り方をちょくちょくしてきている。
そんな周囲(他社に勤める友人・知人)に「休みたいなら休めば?」とよく応えるのだが(恐らく嫌味に捉えられている方もいると思う)、「休みたくても休めない」という答えが実によく返ってくる。
だが、そんな彼らと話していて、感じるのは、まさに彼ら自身も、また、彼らの上司も「仕事量のマネジメント」ができていないということである。
周囲の友人とこうした件について話していて、比較しても、「休み(有給休暇)を取る」という点に関しては、私は実際、かなり恵まれた環境にいると実感している。
私の有給取得に関してはざっくりと以下の様な状況である。
・入社1年目から20日間の有給休暇付与(私が調べた限りでは、労基法で定められた勤続年数に応じて付与される有給休暇の最低日数が最長の20日間に達するのは勤続6年6ヶ月以上。ちなみに私の現在の勤続年数は5年6ヶ月を超えたところ。有給休暇ハンドブック(厚生労働省))
・有給休暇とは別に夏季特別休暇として5日間の有給休暇の付与
・有給休暇、夏季特別休暇ともに、定められた範囲内で午前若しくは午後半休、1時間単位での取得が可能な時間休の取得が可能
他にも、幸いというか、まだ機会がなく取得したことのない介護休暇や育児休暇などがある。こちらは取得したことがないので有給であったか無給であったかはあまり関心がなく詳細は覚えていない。
勤続3年目から私は付与される有給休暇、夏季特別休暇に関しては完全消化を心がけ、実践するようにしてきた。実際には前年度分の繰越分もあるため、消化しているのは前年度分の休暇ということになるが。
上記の記事を読んで、私はなぜ自分が付与される有給休暇の消化を心がけるようになったのか、常々「休みたいのに休めない」と言っている周囲(他社)の友人・知人たちが休まないのかを改めて考えてみた。
私も、初年度から20日間の有給休暇が付与される恵まれた職場にいるとは言え、仕事も覚えていない1年目に有給を取ることは、周囲の目も気になり、組合との兼ね合いで正に消化を目的とされる夏季特別休暇以外は、体調を崩して本当に職場に行くのがしんどかった時以外はほとんど有給休暇を消化できずに終わってしまった。
そして迎えた2年目、仕事も覚え始め、徐々に残業も増えてきた。
まだ私は各仕事の重要度、優先度、必要とされる最低限度のアウトプットなどが把握できておらず、結果的にすべての仕事に過度な労力を割いてしまっていた。
そう、「仕事量のマネジメント」ができていなかったのである。
この時はまだ周囲の目も気になり、「休む」ことで仕事にどのような影響が生じるのかも把握できておらず、想像力も乏しかった。
2年目は全部残業時間を付けられる恵まれた(当然の?)環境にいるとは言え、残業時間も結構増え、300時間は超えていた。
結果的には前年度に繰り越した有給休暇も完全消化はできず、失効させてしまった。
私は旅行が好きで、有給休暇を取得すると混みあう休日を避けることもでき、宿泊代金なども抑えられることが多いので、有給を取らずに仕事に打ち込んでみた2年目は自分にとっても我慢を強いる1年であったように感じていた。
しかし、周囲の人に取って、私が有給を取っていなかろうと、何時間残業していようと、当然の事ながら全く関係なかったのである。
私の「仕事量」をマネジメントするべき上司は何ら管理能力を発揮せず、私の仕事の結果は酷評された。
しかし、そんな酷評した周囲の人達も、ある方は退職し、またある方は異動で別の部署へ移っていった。
以上の様な経緯から私は、
・自分が思うほど周囲の人は私の頑張り(休んでいない、残業しているなどの個人的な思い込み)はみていない
・仕事は結果で評価される(失敗は全てが悪いわけではなく、次に活かせば良い)
という点を学んだ。
同時に、当然これも人によるので一概に全体に当てはめることはできないのだが、
・「管理職(上司)」自身が自分の「仕事量」をマネジメントできておらず、部下のマネジメントまで及んでいない
ということも学んだ。
上記の様な経緯から、3年目から私は、有給休暇の完全消化を1年の一つの目標に定め、月ごとの目標休暇日数を決め、仕事の状況を見ながら休みをコントロールすることを試みるようになった。
具体的には、
・有給休暇を取得する日を2週間以上先に定め、周囲に有給休暇を取得することを知らせる(これは突発的な仕事が入った時に引き継いでもらうための配慮)
・有給休暇の予定を入れている日に別の予定が入ってこないようスケジュールを調整する
・特に旅行に行った時はばら撒きでよいので周囲におみやげを購入していく
・周囲の人が有給休暇を取得するときは積極的に仕事を引き継ぐ
上記のようなことを実践してみた。
また、突発的に「休める!」と感じた時に有給休暇を取得した時も含めて、実際に休んだ時に自分でしか捌けないような仕事がどの程度入ってくるのか、休み明けにそれをカバーするのに要する労力などを少しずつ検証していった。
私の職場環境が有給休暇の取得に関しては恵まれているのも確かだと思うが、「休みたいけど休めない」と言っている人と話しいて感じるのは、上記のようなことを実践していない、特に、「休んだ時に起こるアクシデント」を想像して休めないと言われる方がほとんどなのだが、そのリスクの大きさを検証しようとする姿勢に乏しいことである。
そこには自分も管理職(上司)も休んだ時のリスクの大きさや、リスクが生じた時に取り戻すための労力という「仕事量のマネジメント」ができておらず、(特に上司からの)自分が休んでいないので他者が休むのが許せないという空気(同調圧力)が蔓延しているように感じる。
自分ができているなどと言う気は毛頭ないが、休んで旅行にでも行こうものなら余分な出費を生じるし、休んだ分を取り戻そうとすれば休み明けには余分な労力もかかるものである。
変な言い方だが、休むことでリフレッシュはできるのも確かだが、休むのも結構大変なのである。
だが、「休みたいけど休めない」と言っている人は一度考えてみてもらいたい。
恐らく自分自身でもそうであるように、他人が休まなかったということに対して周囲はそれほど評価はしていない。
そして、死の間際になって、
「もっと家族と過ごす時間を取っていればよかった」
「あんなことをしてみたかった」
という後悔をしたところで、他者はそれに対しての責任を取ってはくれず、労いの言葉もかけてくれることは稀であろう。
ロシアが日本の記憶遺産登録(シベリア抑留資料)の撤回を要求した件について
そりゃそうだよね〜、という記事。
日本の一部の方はは中国側の南京事件(この件も呼称含めてそもそもどこまで本当で、どういう評価を下せばいいのか僕にはとてもわかりませんが)の申請を「政治利用」だと批判しているそうですが、ロシア側からしたら日本のこのシベリア抑留資料の申請だって同様のものだよね。
実は先日、伊根の舟屋群に行った際にルート上だったことと、たまたま今、山崎豊子の「不毛地帯」を読んでることもあって、新装されたばかりの舞鶴引揚記念館に行ってきました。
そもそもの興味は先日、シベリア抑留の経験者の方やその家族の方の話を聞く機会があったことなのですが。
「不毛地帯」は脚色されているとは言え、実際にそれに近い状況もあったのではないかと思います。
ただ、舞鶴の引揚記念館でも抑留状況の写真などの資料はほとんどなく、ネットで探してもあまり少なくとも日本語資料を探す限りはあまり情報が出てこないんですよね。
「歴史は勝者が作る」なんて言いますが、ロシアの強制収容所もドイツに負けず劣らずとは聞いていましたが、情報の少なさを見てると、そんな言葉にも実感が湧いてきます。
シベリア抑留は決して許されるべきものではないと思いますが、ロシア側が積極的に懺悔をしていない「負の遺産」的要素が強い今回の件を日本側から申請したということで、この問題も新たに今後に禍根を残すものになりそうな気がします。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151015-00000570-san-eurp
読了「東京ルームシェア生活」
最近話題のシェア生活のあれこれが赤裸々に描写されたエッセイスタイルのコミック。
実は私も筆者と同様にシェアハウスで暮らしているので、
「ある、ある」「わかる、わかる」と共感しながら読んでいた。
筆者はこれまでのべ7人とシェア生活を送ってきたと最後に書かれているが、本書で描かれているのは女性3人がシェアハウスを始めようとして、家探しから始める様子のみが描かれている。
筆者が異性と暮らしたことがあるのかは分からないが、私自身は異性とも暮らしているが、異性と暮らしていても銅製だけで暮らしていても基本的にはあまり変わることはないんだな、と本書を読んで感じた。
一緒に暮らす相手のキャラクターによってどのような生活が送れるのかは変わってくるのも同様なのだろう。
本書を読んでいて、他人と暮らし始めるという点で、仮に2人でのシェア生活は結婚や同棲と距離感が近いのかもしれないが、3人以上での生活となると相手との距離感は少し異なるのかな?と読んでいて改めて感じた。
本書ではシェア生活にピリオドを打つシーンは描かれておらず、私自身まだその経験はないのだが、長くシェア生活を営んでいると周囲によく懸念されるようなシェアメイト間でのトラブルはあまりないものの、最近では「シェア」という暮らし方に対する法制度上の問題点を感じることが最近ではよくあるので、いずれ機会があればその辺も書いて行きたいと思う。
読了「オオカミの謎: オオカミ復活で、生態系は変わる!?」
図書館の返却棚に置いてあり、興味を惹かれて読んでみた本。
日本では明治期には絶滅したと言われている狼。
狼には人を襲うような恐ろしい猛獣のイメージもあるが、生態系の中では頂点捕食者と言われる重要な地位にいる動物である。
日本ではその頂点捕食者である狼が絶滅してしまったことで(そして、本書でも述べられているが、近年、人間のハンターも高齢化等の原因により減少してしまっていることで)鹿などの生態系ピラミッドでは頂点捕食者の下位に位置する動物の個体数増加に対する抑制が効かなくなってしまい、林業や農業における現在の獣害問題にもつながってきている。
そして、狼が絶滅してしまったことで生態系のバランスが崩れてしまって地域に狼を再導入することで生態系のバランスの乱れを是正しようとする考えがあり、実際にアメリカではそれを実践し、生態系の回復が見られるそうだ。
参照:オオカミの再導入
この考えに対しては、
・再導入する狼がそもそもその地域に元々生息していなかった種を導入するすることになれば、遺伝的な乱れを生じさせる
・狼を導入することで人や家畜を襲うという被害が想定される
などの問題点が指摘されており、実施には至っていない。
本書の筆者はこの「オオカミの再導入」に基本的には賛同しており、実際に個人的にも狼を飼育している。
余談になるが、日本で絶滅してしまった狼を動物園以外の個人運営の事業で飼育しているという点に関しては詳しく書かれていないが、イリーガルな方法を除いて基本的にそんなことはできないものだと思っていたのでこの点に関しては大いに驚かされた。
本書の内容に戻る。
筆者は上に述べたように、基本的に「オオカミの再導入」に賛成の立場であり、自身で狼を飼育している経験からも人への襲撃などの懸念も充分に考慮している。
その上で、既に絶滅してしまった狼に、そして狼の生息できる環境に思いを馳せ、狼の生態、狼が生態系に戻ることで実現されうると予測される環境、人との関わり方に関しての記述がされている。
本書の最後にも書かれているが、生態系に関する多少の予備知識はいるものの、読みやすいページ数にまとまっており、何より、狼の生息できる生態系に関する話の中で、理科、社会、英語、数学、国語という学校で学ぶ各教科がどのように活かせるのかが書かれており、小学校高学年から中学生くらいの年代の人には生態系(エコロジー)、環境という視点をきっかけに学ぶ楽しさを得られる最適の1冊であると感じられた。
読了「ワイルド・ソウル 上下巻」
誰かのブログで勧められていた記憶のある本。
今年はブラジルワールドカップのために現地参戦に出向いたので、本当はその前に、もしくは旅行中に持って行って読んでいれば現地での空気感も交えてよりリアルに感じられたのかも知れない。
読む前は第2次世界大戦前にブラジルに渡った日系移民が、たくましく彼の地で生き抜いていった時の話かと思っていたが、そうではなく、この話は戦後のものである。
戦後、大量の帰還兵を国内に迎えながらも、当時の日本はまだ復興にあたって景気もよくなく、次々に戦地から帰還する兵士達を吸収できるほどの仕事もなく、また、食糧事情も悪かったことから、時の政府は戦前に行っていたようにブラジルなど大戦に参加していなかった中南米諸国の政府と協定を結び、国内で抱える「余剰」と見られた国民を移民として送り出すことを画策する。
灌漑施設の整った肥沃な農地を用意されると聞き、胸を踊らせて長い船旅に揺られて彼の地へ渡った移民達。
彼らは当時の日本にいても日の目を見ることはないと考えて、移住先で一旗あげようと画策した人達だった。
移住した人の中には親戚中からお金を借りて旅費を工面したものもいたという。
主人公の一人である衛藤もそんな一人で、新妻、そして弟を説得して大きな期待を抱いてブラジルの地を踏むこととなる。
しかし、ブラジルについた早々、そんな彼らを不安に落としいれるような説明を領事館職員から受ける。
不安を胸に抱きながらも、移住先に向かうが、その道中で彼らの不安はどんどんと大きくなっていく。
彼らに割り当てられた土地とは、現地人でも移植を躊躇するほどのアマゾンの奥深い地であり、また、当初説明を受けていた状況とはまるで異なり、灌漑設備はおろか、整地されているとされた土地には薄暗いジャングルが広がり、農業に必要な腐葉土も表土からわずか数センチ。それも、アマゾン特有の大雨で度々流されてしまうという有様。
さらに、熱帯特有の風土病が彼らを襲う。
「アマゾン牢人」
この物語は、そんな過酷な状況下で生き延びた移民一世と、数奇な運命に翻弄された二世達が、皮肉にも彼らを「棄てた」後に奇跡的な経済成長を果たした日本において、当時彼らを「棄てる」ことに関わった者達に復習を果たすという物語となっている。
登場する二世達はなんともハードボイルドな男達で、そんな男達が慎重を期しながらも、大胆な行動を実行しいく様と、少ない手がかりからそれを解決しようとする日本の治安当局、そして巻き込まれて悩みを抱えながらも立ち向かうマスコミ関係者達の掛け合いに思わずページをめくる指が進んでしまう。
中央省庁再編に伴う外務省仮庁舎を舞台の一つとしており、その舞台設定の妙にも感心してしまう。
この話はフィクションだが、戦後の中南米への移民政策に関しては程度の差はあるとは言え、これに近い状況はあったのだろうと想像できてしまう。
当時、日本にいても陽の目がないと考えたとしても、その後の日本の奇跡的な経済成長を考えれば、日本に留まっていたとしてもそれなりに経済成長の恩恵を受けることはできただろう。
適切な情報を与えられて(そもそもそんな情報を与えれば移民募集に対して手を挙げるものはいなかっただろうが)、それでも移住を選択したとすればそれはもうその人の選択の結果としか言いようが無いだろう。
結果的に中にはまれに成功を果たす人はいるかもしれないが、大多数は博打に負けたということになるだろう。
だが、この物語を読んでもわかるように、当時の政府及びその関係者が行ったことはまさに「棄民」であり、言葉巧みに守るべき国民を守らず、甘言を用いて騙したに等しいと言える。
結局、政府など言うものは戦前・戦中と変わっておらず、中枢にいる者は基本的には自分達の保身しか考えていないということがよく分かる。
ブラジルのカンポ・グランデの市場で食べた沖縄そば、そして、サンパウロのリベルタージ(日本人街)で暮らす日系人の方達。
彼らの祖先が如何に逞しく生き、そして、彼の地で日系人としての信頼を築いてきたのかに思いを馳せて読んでいるうちに、再びブラジルに、そしてコロンビアに行ってみたいと思った。
久々に寝るのも惜しんで読み進めたくなる本でした。